真言宗 大仙寺 住職:安達 信宏上人(横浜市保土ヶ谷区)
急ぎの時でも安心してお任せできます
石半さんはまず、仕事が早いので助かります。
例えばある方が亡くなられて、ご遺族から「四十九日までになんとか納骨したい。
間に合うでしょうか?」といったご相談を受けることがあります。
しかも、通夜、葬式が済んだ後のことですから、正味二週間ぐらいしか日にちのないこともあるのです。
お墓の場所を決めるのにも時間はかかります。
しかし、墓石に限っては「早かろう悪かろう」では困ります。
確かに今は急いでいても、一度たてた墓石はずっと後に残るのです。
「あの時は急いでなんとか間に合わせた墓だから、石が悪くてつくりが雑なのも仕方ない」ということで納得される方はおられないでしょう。
もちろんそうしたことも踏まえ、石半さんは安心できるということです。
ショールームもお持ちなので、施主さんやご遺族が現物をみてタイプや石を選んでいただ けるので、急な仕事でも墓が出来てから違和感を感じるということもないようです。
費用や工事、石の素材などについてもきちんと説明してくれるので、十分納得したお墓をたてることが出来ると思います。
当寺も、石半さんとは長いおつきあいです。
先代の社長さんは職人気質で、「黙って万事任せてくれれば最高の仕事をする」というタイプでした。
しかし、現代の人はすべてにおいてあらかじめすべてきちんと説明してくれることを望み、一から十まで納得しないと気がすまない人が多いので、今の代の社長さんのように物腰柔らかに接し、丁寧で根気よく説明 してくださるタイプのほうが好まれるのではないでしょうか。
例えばある方が亡くなられて、ご遺族から「四十九日までになんとか納骨したい。
間に合うでしょうか?」といったご相談を受けることがあります。
しかも、通夜、葬式が済んだ後のことですから、正味二週間ぐらいしか日にちのないこともあるのです。
お墓の場所を決めるのにも時間はかかります。
しかし、墓石に限っては「早かろう悪かろう」では困ります。
確かに今は急いでいても、一度たてた墓石はずっと後に残るのです。
「あの時は急いでなんとか間に合わせた墓だから、石が悪くてつくりが雑なのも仕方ない」ということで納得される方はおられないでしょう。
もちろんそうしたことも踏まえ、石半さんは安心できるということです。
ショールームもお持ちなので、施主さんやご遺族が現物をみてタイプや石を選んでいただ けるので、急な仕事でも墓が出来てから違和感を感じるということもないようです。
費用や工事、石の素材などについてもきちんと説明してくれるので、十分納得したお墓をたてることが出来ると思います。
当寺も、石半さんとは長いおつきあいです。
先代の社長さんは職人気質で、「黙って万事任せてくれれば最高の仕事をする」というタイプでした。
しかし、現代の人はすべてにおいてあらかじめすべてきちんと説明してくれることを望み、一から十まで納得しないと気がすまない人が多いので、今の代の社長さんのように物腰柔らかに接し、丁寧で根気よく説明 してくださるタイプのほうが好まれるのではないでしょうか。
お墓に対する考え方
お墓に対する考え方は、それぞれのお寺さんでいろいろ違いがあるようです。
もちろんそのお考えは尊重いたしますが、当寺ではなるべく柔軟に対応するようにしております。
現代気質に迎合するわけではなく、障害を少なくすることで多くの方が幸せになり、仏縁が増えるのであれば、それが本来の仏教の考え方により近いと思うからです。
また、実際には当寺だけでなく他のお寺さんも柔軟に考えていらっしゃるのに、 ご遺族が思い込みで供養を窮屈にしてしまっている可能性もあります。
ですから、ぜひまず菩提寺に気軽に相談してみて欲しいのです。
例えば、最近は少子化で、鈴木家には一人娘のお嬢さんしかおられなかったとします。
そのお嬢さんが佐藤家に嫁いでしまうと、そのお嬢さんは鈴木家の墓には入れない、とお考えの方が多いでしょう。
しかし、実はそうではないのです。 お墓の本質は供養塔です。
お墓に「何々家」と書くから抵抗があるわけですが、実はお墓は他家に嫁いだ娘さんが継承してもよいし、直系の子孫がおられなければ甥や姪に継承してもらってもよいのです。
人が亡くなると、戒名というものを頂きますね。あの世には鈴木も佐藤もないのです。そのために戒名があるのです。
ですから、この世の「家」というものにこだわる必要はありません。極端に言えば、他人が継承してもよいのです。
例えば、身寄りのないお年寄りが晩年に縁あって赤の他人ではあるけれど大変親身にしてくださった人に巡り合ったとします。
その人も自分の入るべき墓が定まっていない。そういう場合には、「私が死んだ後には、私のお墓をあなたにあげます。
その代わり、供養もしてくださいね」ということでよいのです。
法的にも、お墓は誰が相続してもよい、相続税のかからない財産ということになっています。
お寺によっては、「そういうことをしてはいけない。新しく別のお墓をたてなさい」とおっしゃる場合もあるでしょう。
これはご住職の考えによるところが大きいのですが、私はそれには賛成できません。
もちろんそのお考えは尊重いたしますが、当寺ではなるべく柔軟に対応するようにしております。
現代気質に迎合するわけではなく、障害を少なくすることで多くの方が幸せになり、仏縁が増えるのであれば、それが本来の仏教の考え方により近いと思うからです。
また、実際には当寺だけでなく他のお寺さんも柔軟に考えていらっしゃるのに、 ご遺族が思い込みで供養を窮屈にしてしまっている可能性もあります。
ですから、ぜひまず菩提寺に気軽に相談してみて欲しいのです。
例えば、最近は少子化で、鈴木家には一人娘のお嬢さんしかおられなかったとします。
そのお嬢さんが佐藤家に嫁いでしまうと、そのお嬢さんは鈴木家の墓には入れない、とお考えの方が多いでしょう。
しかし、実はそうではないのです。 お墓の本質は供養塔です。
お墓に「何々家」と書くから抵抗があるわけですが、実はお墓は他家に嫁いだ娘さんが継承してもよいし、直系の子孫がおられなければ甥や姪に継承してもらってもよいのです。
人が亡くなると、戒名というものを頂きますね。あの世には鈴木も佐藤もないのです。そのために戒名があるのです。
ですから、この世の「家」というものにこだわる必要はありません。極端に言えば、他人が継承してもよいのです。
例えば、身寄りのないお年寄りが晩年に縁あって赤の他人ではあるけれど大変親身にしてくださった人に巡り合ったとします。
その人も自分の入るべき墓が定まっていない。そういう場合には、「私が死んだ後には、私のお墓をあなたにあげます。
その代わり、供養もしてくださいね」ということでよいのです。
法的にも、お墓は誰が相続してもよい、相続税のかからない財産ということになっています。
お寺によっては、「そういうことをしてはいけない。新しく別のお墓をたてなさい」とおっしゃる場合もあるでしょう。
これはご住職の考えによるところが大きいのですが、私はそれには賛成できません。
お墓を選ぶにあたって
当寺では、檀家の宗派を問いません。仏教徒であれば結構です。これについては「節操がない」とおっしゃる方もおられるかも知れませんが、そうではないのです。
大本である仏教はひとつなのですから、先祖を供養し、うちの檀家になる気持ちがある方であればそれでよい、と私は考えております。
もちろん、そうは言っても霊園のような感覚で「家から近いから」とか「便利なので」といった理由で当寺にお墓をたてたいという方にはご遠慮いただいております。
寺院墓地は、まず菩提寺あってのお墓です。
檀家となり、他の檀家の皆さんとも仲良くおつきあいし、仏事法要にも積極的に参加してくださるようお願いしています。
当寺には、ここにお墓がある方を「檀家」と呼び、霊園にお墓があって供養を当寺で行っておられる方を「信徒」と呼んでおります。
あわせて檀信といいます。
この檀信の皆さまと親睦をはかるのも大切なことで、さしづめ私などはその幹事役ということになるでしょう。
檀家の皆さんと親睦旅行などに出かけることもあります。
ある時、親睦の場である方がこんなことをおっしゃいました。
「私たちは年齢も住んでいる場所もばらばらだけど、いずれ死んだら同じ大仙寺のお寺に入る。
そうなったら永遠にご近所になるわけで、いわば私たちは町内会のようなものです。
これからも仲良くしてゆきましょう」
この話は非常に感銘深いものでした。
お寺を通じてご縁が生まれ、生きている間は仲良くお付き合いをし、死んだら皆と一緒に供養をしていただく。
皆さんそういうお気持ちでいらっしゃるのです。
このことだけを取り上げても、お寺と檀家さんの関係は商売などといったものでないことはよくおわかりいただけると思います。
これが菩提寺と檀家のあるべき姿で、失礼ながら霊園墓地にはこのような人のつながりと安らぎの心境は得られないのではなかろうかと存じます。
この親睦の輪に檀家の分家さんが加わったり、お墓を欲しがっておられる親戚をご紹介されたりして輪は広がるのですが、そうした紹介がなくとも、ご縁のある方は当寺の檀家に加わってゆかれます。
おそらく、霊園墓地に行かれる方はこうした菩提寺と檀家の関係について正しい知識がないまま、誰の導きもないままどうしてよいかわからないで霊園をお選びになるケースが多いのでしょう。
また、こうした関係をわずらわしいと感じる人もおられるでしょう。
それはご本人様次第であって、どちらがよいということは一概に申せません。
ただ、霊園墓地は見た目や場所がよいという表面的な理由で選ぶと、後々トラブルに巻き込まれることもありますから、事前によくお調べになったほうがよい、というアドバイスを申し上げておきます。
また、これから菩提寺を定め寺院墓地を選ぼうとお考えの方は、住職の人となりをじっくりと見定めてください。
なるべく時間をかけ、住職に接して物の考え方や仏教観を伺い、自分の肚に落ちるかどうかを見極めるのです。
「この住職になら安心して自分の供養をまかせられる」と思えるお寺に巡りあうこと。
まさしくこれも縁ですが、心からの安心を得ることが出来るでしょう。
大本である仏教はひとつなのですから、先祖を供養し、うちの檀家になる気持ちがある方であればそれでよい、と私は考えております。
もちろん、そうは言っても霊園のような感覚で「家から近いから」とか「便利なので」といった理由で当寺にお墓をたてたいという方にはご遠慮いただいております。
寺院墓地は、まず菩提寺あってのお墓です。
檀家となり、他の檀家の皆さんとも仲良くおつきあいし、仏事法要にも積極的に参加してくださるようお願いしています。
当寺には、ここにお墓がある方を「檀家」と呼び、霊園にお墓があって供養を当寺で行っておられる方を「信徒」と呼んでおります。
あわせて檀信といいます。
この檀信の皆さまと親睦をはかるのも大切なことで、さしづめ私などはその幹事役ということになるでしょう。
檀家の皆さんと親睦旅行などに出かけることもあります。
ある時、親睦の場である方がこんなことをおっしゃいました。
「私たちは年齢も住んでいる場所もばらばらだけど、いずれ死んだら同じ大仙寺のお寺に入る。
そうなったら永遠にご近所になるわけで、いわば私たちは町内会のようなものです。
これからも仲良くしてゆきましょう」
この話は非常に感銘深いものでした。
お寺を通じてご縁が生まれ、生きている間は仲良くお付き合いをし、死んだら皆と一緒に供養をしていただく。
皆さんそういうお気持ちでいらっしゃるのです。
このことだけを取り上げても、お寺と檀家さんの関係は商売などといったものでないことはよくおわかりいただけると思います。
これが菩提寺と檀家のあるべき姿で、失礼ながら霊園墓地にはこのような人のつながりと安らぎの心境は得られないのではなかろうかと存じます。
この親睦の輪に檀家の分家さんが加わったり、お墓を欲しがっておられる親戚をご紹介されたりして輪は広がるのですが、そうした紹介がなくとも、ご縁のある方は当寺の檀家に加わってゆかれます。
おそらく、霊園墓地に行かれる方はこうした菩提寺と檀家の関係について正しい知識がないまま、誰の導きもないままどうしてよいかわからないで霊園をお選びになるケースが多いのでしょう。
また、こうした関係をわずらわしいと感じる人もおられるでしょう。
それはご本人様次第であって、どちらがよいということは一概に申せません。
ただ、霊園墓地は見た目や場所がよいという表面的な理由で選ぶと、後々トラブルに巻き込まれることもありますから、事前によくお調べになったほうがよい、というアドバイスを申し上げておきます。
また、これから菩提寺を定め寺院墓地を選ぼうとお考えの方は、住職の人となりをじっくりと見定めてください。
なるべく時間をかけ、住職に接して物の考え方や仏教観を伺い、自分の肚に落ちるかどうかを見極めるのです。
「この住職になら安心して自分の供養をまかせられる」と思えるお寺に巡りあうこと。
まさしくこれも縁ですが、心からの安心を得ることが出来るでしょう。